線の訓練
コピー用紙を支持体に、ミリペンとときどき墨汁を用いて描かれた図形群。着想のきっかけは、1992年にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された葛西薫展『AERO』の展示図録を大学の図書館で発見したことによる。空気を送りだすプロペラの羽根の曲線と、空気を溜める袋としての気球の曲線をモチーフに描かれた図形が、天井から床まで伸びる大きな紙の中に堂々と佇んでいる。どこまでも澄んだ雄大な空の空気を感じさせ、また極めて理にかなっているのに、同時に一切の説明を拒絶するような存在感を放つその形に心底夢中になり、AEROで指し示された造形表現の可能性を、自分の解釈で試してみようとした。身近にある形を出発点として、自由に解体、変形を繰り返して図形を描いた。
手で精巧に描かれたレタリングは良い。それは単に形がきれいだとか、技巧が優れているとか、そういった話ではない。手が直線や曲線を描けば、どんな優れた手仕事の技術を持っているとしても、よくよく観察してみれば、気がつかない程度にほんの僅かな寄れや歪みが残ってしまう。それでも限りなく機械のように正確にあろうとする人間の努力が、造形に美しさを宿す。ここに描かれた図形は一見すると対称的なものもあるが、フリーハンドのため、左右を重ねて比較してみると線の揺らぎや弧の角度、長さ等が違っている。直線に見える線も、定規で描いたような直線ではない。その揺らぎから表象される感覚を、ひとつのテーマとした。
グラフィックデザインは、情報を正確に伝達するために、視覚的な整理整頓をすることにとどまらず、文字という不思議なものに対して、どのような色を、どのような形を授け、どう配置していくかという、単純な伝達の意図を超えた美意識によって成り立っているものである。文字というものは生活にすっかり浸透して、それを使用することに疑問を挟む余地もないように思われるが、意味と音を内包し、例え一本でも間違った線を引けば全く別の意味に様変わりしてしまう危ういものを使いこなせるということは、私にはとても不思議なことに思われる。そんな不思議な存在を不思議だと思うままに扱い、それでもなにかを表現し、考えを伝えようと苦心することは言語表現に限らず、例えば、音を扱う領分とする音楽にも同じことが言えるのではないか。メロディや和音といった、響き以上には付随する意味を持たないもののまとまりや、文字の意味的な側面ではなく、フォルムの集合として見た際に感じ取ることのできる造形の世界に、我々は心を動かされる瞬間がある。それを追求することは、社会における意味や有用性といったものから離れた場所で、個人が宇宙を美学的に観察することであり、その姿勢を持つことが必要であると感じる。
どこか見たことのあるようで、未だ人間が発見していない形を授かり、それらを形而下の世界に降ろす造形芸術界の巫女のような気持ちになって不乱に取り組んだ。
手で精巧に描かれたレタリングは良い。それは単に形がきれいだとか、技巧が優れているとか、そういった話ではない。手が直線や曲線を描けば、どんな優れた手仕事の技術を持っているとしても、よくよく観察してみれば、気がつかない程度にほんの僅かな寄れや歪みが残ってしまう。それでも限りなく機械のように正確にあろうとする人間の努力が、造形に美しさを宿す。ここに描かれた図形は一見すると対称的なものもあるが、フリーハンドのため、左右を重ねて比較してみると線の揺らぎや弧の角度、長さ等が違っている。直線に見える線も、定規で描いたような直線ではない。その揺らぎから表象される感覚を、ひとつのテーマとした。
グラフィックデザインは、情報を正確に伝達するために、視覚的な整理整頓をすることにとどまらず、文字という不思議なものに対して、どのような色を、どのような形を授け、どう配置していくかという、単純な伝達の意図を超えた美意識によって成り立っているものである。文字というものは生活にすっかり浸透して、それを使用することに疑問を挟む余地もないように思われるが、意味と音を内包し、例え一本でも間違った線を引けば全く別の意味に様変わりしてしまう危ういものを使いこなせるということは、私にはとても不思議なことに思われる。そんな不思議な存在を不思議だと思うままに扱い、それでもなにかを表現し、考えを伝えようと苦心することは言語表現に限らず、例えば、音を扱う領分とする音楽にも同じことが言えるのではないか。メロディや和音といった、響き以上には付随する意味を持たないもののまとまりや、文字の意味的な側面ではなく、フォルムの集合として見た際に感じ取ることのできる造形の世界に、我々は心を動かされる瞬間がある。それを追求することは、社会における意味や有用性といったものから離れた場所で、個人が宇宙を美学的に観察することであり、その姿勢を持つことが必要であると感じる。
どこか見たことのあるようで、未だ人間が発見していない形を授かり、それらを形而下の世界に降ろす造形芸術界の巫女のような気持ちになって不乱に取り組んだ。
←